地域紹介

岡上の歴史や文化にふれる地域紹介をします。

散歩しながらご覧になるのもいかがでしょう。


ただし、マナーやルールを守ってください。

・勝手に敷地に入らないでください。

・植物をとらないでください。

・ごみは持ち帰りましょう。


岡上神社

祭神は、日本武尊、健御名方命、大山咋神、稲倉魂命。

古くは岡上村には下記の5つの神社がありましたが、明治42年、5つの神社を諏訪神社の地に合祀して岡上神社が誕生しました。この時、参道の第1鳥居(欅製)と本殿の建物は旧剣神社から移設されました。拝殿は関東大震災で倒壊したため、昭和2年に再建されました。

その後、第1鳥居は昭和56年に建替えられましたが、この際旧鳥居に文政12年11月16日の記載が見つかりました。

また、本殿(向拝の龍の彫り物上端に天保5年の記載あり)は、茅葺屋根を昭和56年に銅板葺に、拝殿の屋根と共に改修しました。

 岡上神社参道  岡上神社

境内には、水神塔(水天宮、嘉永3年、1850年)、金勢大明神(嘉永4年、1851年)、青面金剛(安政2年(1855年))、堅牢地神碑(安政2年)などがあります。


東光院

正式名称:岡上山東光院宝積寺(おかのぼりさんとうこういんほうしゃくじ)

東光院入口


寺の草創については、行基菩薩が関東下向の折、鶴見川の川岸に光るものがあるので、筏を降り岡上にあがった。光っている丘の北方を掘ると毘沙門像を見つけ、草庵を建てて奉安したのが、寺の始まりであった」というの縁起が伝えられています。

鎌倉に向って、東向きに建てられていることが、寺名の起こりとされています。

本尊は、大日如来像で、宗派は、真言系です。

東光院は、王禅寺と共に多摩丘陵の2大本寺とされています。
町田市三輪の高蔵寺、金井の弘福寺、大蔵の慶性寺を始め11の末寺があったとされています。

東光院の鐘 突堂 仁王門


境内には仁王門、鐘突堂、瘡守稲荷、蚕影山祠堂跡などがあり、本堂には縁起に登場する兜跋毘沙門天像が安置されています。

東光院の兜跋毘沙門天立像は、平安時代の創作によるもので、川崎市重要歴史記念物に指定されています。

岡上の遺跡

1)横穴古墳

杉山下2基 S43年発見。 (7世紀後半)
川井田下1基 S53発見
岡上ー4遺跡 土坑跡 H10年発見。(縄文時代前期~中期)


川井田下横穴墳


2)丸山遺跡

岡上小学校設置にともなう事前調査で発見されました。
・縄文時代の遺跡。
・古墳時代の終わり頃(7世紀)、奈良時代、平安時住居代の
平安時代の住居跡。
現在は、岡上小学校敷地内に岡上丸山遺跡広場が置かれています。

岡上丸山遺跡広場


3)岡上廃寺跡

奈良・平安時代の遺跡で阿部の原と呼ばれるところにあります。


馬頭観音

馬頭観音とは、六観音の一つであり、宝冠に馬頭を戴いて忿怒の相をなし、普通は3面で8臂を有しています。馬頭は天輪王の宝馬が四方の敵を駆逐するように、一切の魔・煩悩を摧状することをあらわし、観音像で忿怒相をあらわしている唯一のものとされます。昭和の中期まで、岡上では農耕のために馬を飼っていました。馬頭観音は、上で述べたような目的のほか飼い馬の無病息災を祈ったとされます。



板碑

川崎市内では935基の板碑が確認されており、麻生区内には137基あります。岡上にあるものは、高さ1.4mで緑色の板碑には、文永4年(1267年)の年号が刻まれています。昭和15年(1940年)4月、堰の改修工事中に水深1mから出土したとされます。板碑とは、亡くなった武士を弔うために作られた石碑で、今日の墓石に相当します。材料の石(緑泥片岩)は、秩父の長瀞から荒川経由でいったん東京湾に運び出され、そして鶴見川を遡って運ばれたと考えられます。鎌倉時代に鎌倉道(鎌倉と関東各地を結ぶ道)が岡上を通っていたと考えられ、鎌倉幕府と関係が深い武士が岡上にいたことが想像されます。



岡上営農団地


昭和42年(1972年)に営農団地推進協議会が組織され、昭和59年(1984年)に、完工しました。
面積は、35.6ha。

温室での野菜栽培、露地野菜、いも堀・柿もぎ・りんご狩りなど、都市近郊型の観光農業も行われおり、平成19年(2007年)6月に国の登録記念物に指定された禅寺丸柿の古木が随所に見られます。

「ふるさと麻生八景」に選ばれています。


四季折々、いろいろな果物、野菜が作られおり、きじを見かけることもあります。


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